Masuk広沢悠樹、13歳。中学2年生の男子。
日の光を浴びて光沢を放つ、腰まで伸びた美しい黒髪はまるで絹糸のごとし。
大きな瞳からは温和ながらも強い意志を感じさせる。
長いまつ毛はまばたきのたびに音がしそうなほど。
鼻筋がすっきり通っており、しっとりとした薄めの唇からは年齢とは不相応の色気が漂う。
整った目鼻立ちはまさに神の細工ともいうべき黄金比。
空想世界から抜け出してきたかのようなその美貌には老若男女問わず魅了されてしまう。
その姿に衆目が集まる。振り返る者、立ち止まって見とれてしまう者。
その姿はとにかくどこにいてもすぐわかる目立つ存在。
対面を歩いていたサラリーマン風の青年が電柱にぶつかった。
しこたま顔を打ち付けた青年が恥ずかしげに顔を上げると偶然わたしと目が合ってしまった。
「くすっ」
思わずこぼれてしまう微笑み。それを見て青年の心はノックアウト。完全に呆けている。
なにか言いかけるが、言葉にならない。
紺色のブレザーをまとい、日本人離れした長い脚にはアンバー色のスラックス。
静かに歩く姿には気品が漂い、神聖不可侵のオーラをまとっていて近づくことさえはばかられる。
* * *
「やっぱり日本に帰ってきても反応は同じかぁ」
ひとりごちる。
まだ3歳だったあの雪の日以降、両親、姉に妹が一気にできて5人家族になった。仲のいい家族だったけど6歳の頃にわたしを育ててくれていた父が事故で他界。
一時は悲しみに暮れその後しばらく4人家族で過ごしていたが、わたしが9歳の頃に母が再婚。新しいお父さんと、2人のお姉さんが増えた。
その結果両親と姉3人妹1人、そしてわたし。合計7人の大家族に。
新しいお父さんの転勤に伴い一家そろってアメリカに移り住んでいたが、両親の仕事に目途がついたのと1歳下の妹の中学進学がちょうど重なったのを良い機会として、つい先日約四年ぶりに日本へ帰国した。
わたしは幼少の頃から女の子だと思われてきた。今の容姿に関してもちゃんと理解はしているつもりだ。「まぁこんな見た目じゃ仕方ないよね。最近はズボンタイプの女の子もいるらしいし」
幼いころからとびきりの美少女(?)であったわたしはテレビ収録を見学に行った際にスカウトされて5歳で芸能界入り。
キャラクター名、雪の精霊『ピーノちゃん』として子供向け番組に出演。
そのテーマソングは子供向けに作られた曲でありながら大人でも口ずさんでしまう軽快なリズムとダンスで大流行し、記録的な売り上げを達成。
楽曲は作詞作曲からダンスの振り付けまですべて自分ひとりで作成した。
神様から与えられたギフトのひとつ、音楽に対する天才性に加えてこの容姿は話題性抜群。瞬く間に世間から注目を浴び、一世を風靡した。
しかし活動期間2年足らずで芸能界を引退。理由は非公開。
それでもその卓越した歌とパフォーマンスは今でも時折話題に上り、カラオケで歌われる曲ランキングの常連。
芸能界を引退しても歌とダンスが好きなところは変わらず、アメリカでもいくつかの曲をリリース。
しかし覚えたての英語での曲作りは幼いわたしには無理があったようで、ヒットするにはいたらなかった。
このままじゃダメだと、思い切って活動を休止。
語学力向上、歌唱力の研鑽、そしてダンスを極めるためにジャンル問わずあらゆる種類のダンスを吸収し、再び世界に歌を届けるための学習期間としてアメリカでの時間を過ごした。
結局アメリカでの芸能活動はほとんど行わないまま帰国。
日本でもわたしの芸能界引退後の行方などは知られていなかったので、今のわたしを知る人間はほぼいない。
ピーノちゃんの設定は神様から与えられた使命をゆきに伝えた「雪の精霊」をそのまま名乗り、性別は不詳ということにしてあった。
それでも実際は女の子に違いないと噂され、当時からそれを疑うものはいなかった。
よく見れば昔の面影はあるが7年という歳月を経て少し大人びた雰囲気になったわたし。
街を歩いていてもこの美少女がかつての天才子役だと見破れる者はいなかった。
それでも、わたしはれっきとした男の子なんですけど!
「たまにはかっこいいって言われてみたいな……」
こんなわたしでも年頃の男の子らしい望みくらいはある。
かわいいって言われても嬉しいけどね。
そして今日からいよいよ新学期。帰国後初の登校。
帰国から今日までそんなに日数もなく、荷解きなど引っ越しの後片付けに忙殺されていたため外に出るのも何日かぶり。
春の空気を胸いっぱいに吸い込み、転校生ならではの不安とワクワクを抱え、もうほとんど散ってしまった桜並木を抜けるわたしの足取りは軽かった。そして学校に到着したはいいものの。
「はぁ、やっぱり緊張するよぉ」
転校初日を迎えたわたしはまず最初に職員室へ顔を出す。
他の生徒が登校する前、けっこう早朝に学校へ到着したので誰にも出会うことはなかったのだけど、職員室に入り名前を名乗るなりどよめきが起きた。
ですよねぇ。不本意だけど。
職員たちは転校してくるのが男の子だと聞いていただろうに目の前にいるのはどこからどう見ても美少女。
動揺するのも当然だよね。
まぁこれも誰かと初めて顔合わせをするときには恒例の反応なので慣れたもの。気にしても仕方がない!
わたしの担任は福山瑞穂先生というまだ若い女の先生。優しそうな先生でよかった。
「瑞穂先生って呼んでね。……はぁ……それにしてもこんなキレイな男の子なんて今まで見たことないわぁ……失礼だけど本当に男の子なのよね?」
瑞穂先生は信じられないと言った様子で念押しをしてきた。
念押しされるほどなのか……。
「こんな見た目なのでよく言われますけど、生物学上はしっかりオスに分類されていますよ。」
冗談交じりに答えるとまたしてもため息を漏らす。
「いろんな人がいるとは思っていたけどホントに世の中は広いのねぇ」
まだ信じられないと言った様子の瑞穂先生。
苦笑いするしかない。あはは……。
そうしているとわたしと同じく今日が転校初日になるひとつ上の姉である茜、通称あか姉が登校してきた。
朝待ちきれなくて先に出てきたからちょっと怒ってる?目が怖いよ?
妹の陽愛(ひより)の方は今年入学なので入学式にも出席しており、新入生扱いなのでもう教室にいる。
あか姉と2人で生徒指導の先生や学年主任の先生、教頭先生に校長先生の紹介を受けあとは簡単な学校の紹介。
それらを終えて少し待機しているとホームルームの時間になり、わたしとあか姉はそれぞれ担任の先生に引率され、編入されるクラスへと向かう。職員室を出てからは別々の方向だ。
瑞穂先生に連れてこられたクラスの前で待機。扉上のプレートには2-4って書いてあるから4組か。アメリカに転校したときもそうだったけど、やっぱりこの瞬間はどうしても緊張する。
教室の中で先生から転校生のお知らせがされ、期待に満ちたクラスメイト達の歓声が聞こえる。なんだ男かよなんて落胆の声も。やっぱりかわいい女の子が転校してきた方が嬉しいよね。
ごめんよ、男で。
やがて先生の合図が聞こえてきたので扉に手をかける。
乱暴にならないよう静かに扉を開け教室の中に足を踏み入れた途端、それまで騒がしかった教室内が水を打ったようにしんと静まり返った。
教室中の視線が集まる。
視線を浴びることには慣れているが、この静寂には少し不安を覚える。わたし、まだなんもしてないんだけど……。
先生に促され、まずは自己紹介ということで黒板に自分の名前を記入。書道が好きで、毛筆硬筆ともに習っていたので字はキレイに書けているはず。
「今日からお世話になります、広沢悠樹といいます。
家族からも『ゆき』って呼ばれてるのでみんなもゆきって気軽に呼んでくれると嬉しいです。 ちなみにこんな髪型をしていますけど、れっきとした男子です。 それに自分の事を『わたし』と呼ぶのも変かもしれませんが小さいころからの習慣なのでもうこのままでいいやと思っています。あはは。 アメリカから帰国したばかりなので日本の習慣と少しずれたところがあるかもしれませんが、よろしくお願いします。」目立ちすぎず地味すぎず、転校初日のあいさつとしては問題なかろう。
しかし反応がないな。
見まわしてみるとみんな呆気にとられたような顔してる。この見た目で男の子ってのは日本では受け入れてもらえないのかな?
一抹の不安が胸をよぎったが、やがてそこかしこから声が聞こえだす。
男子からは「え?男子?」「え?かわ……え、男?」「うそだろ……」「どうみても……え?」と、やや錯乱気味の声がちらほら。
ちゃんと男です。受け入れて。
女子もわたしの容姿に衝撃を受けたのは同じみたいだけど、衝撃の種類がちょっと違うようで「キレイ……」「男子に負けた……」「肌きれいすぎ。色しっろ」「まつ毛なっが」などとため息交じりの声が多い。めっちゃ見られてるし……。
最初は声もなかったクラスメートたちだったけど、ただ驚いていただけだったみたい。口火を切った生徒たちから始まりすぐにみんなが一斉に騒ぎ出した。
マジ大騒ぎ。
蜂の巣をつついた騒ぎってのはまさにこういうことを言うんだろう。いろんな質問が飛んでくるけどみんな一斉に話すものだからハッキリ言って何も聞き取れない。いやいや無理無理。
聖徳太子でも30人超は無理でしょ。
先生が静かにするようにと注意しても騒ぎが収まるまで少し時間がかかってしまった。
他のクラスの迷惑になるから落ち着いてね。
それにしてもわたしってそんなにかわいいかな、えへっ。
褒められること自体は嬉しい。ちょっと複雑だけど。
ただ「かっこいい」はもう諦めた方がよさそうだ。
転校初日にして想定以上の騒ぎになっちゃったけど、おおむね好意的な反応で歓迎はされているようなのでとりあえずは安心かな。
ホームルームが終わり授業が始まる。授業中もみんなちらちらとこちらを見て落ち着かない様子。
4年ぶりに日本の学校で受ける授業だから不安に思っていたけど、国語関係以外は内容も大差ないので安心した。勉強に関しては問題ないと思う。
内容が全然違って全部最初から覚えなきゃいけないとかだったらさすがにめんどくさい。まぁわたしの場合チートみたいな能力があるから可能ではあるんだけど。
授業は問題なかったけど、休み時間のたびにクラスメイトが大勢押し寄せて質問攻めになるのにはまいった。
日本人って転校生にこんなに興味津々だったっけ?
噂を聞きつけて他のクラスからも見にくる人もいたりしてほぼ毎時間教室が満員御礼状態。
特に女の子ってこういうとき容赦ないんだなって知った。
マスコットというかおもちゃというか……。
「めちゃくちゃ髪の毛きれいだけどシャンプー特別なの使ってる?」
「つけまじゃないよね!?」
「声もかわいいしね。ほんとは女の子なんじゃないの?」
「肌も白いしすべすべ~!スキンケアってどうしてるの?」
容姿と言うか美容に関する質問を矢継ぎ早にしながら髪から顔、手までめっちゃ触ってくる!
おさわり禁止~!
中身はれっきとした男の子なんです!
そんなにあちこち触られると恥ずかしいというか……誰か助けて……。
男子はというと少し遠巻きにしながらわたしが女子に囲まれてもみくちゃにされているのを眺めているだけであんまり近づいてこない。同性なんだしもっと気軽に話しかけてほしいんだけどな。
質問攻めの中、杏奈と呼ばれている子が興奮気味に訊ねてきた。
どうやらクラス委員らしいけど、なんか鼻息荒いよ?
「ね、見た目もそうだし、話し方も女の子みたいだけど恋愛対象は男の子だったりするの?」
いきなりぶっこんだ質問をしてきた!
クラス委員ということで特攻隊員として選ばれたのかいきなりセンシティブな話題に触れてきたよ……。
「小さいころからの習慣というか家族の影響でこんな見た目になっちゃってるけど、中身はれっきとした男の子だよ。別に同性愛とか性的マイノリティの人に偏見なんかはないけどわたし自身が同性に告白されてもさすがに無理かな。同性相手に恋愛感情は持てないなぁ」
男として至極まっとうな返答をしただけだけど、反応は2種に分かれた。
「そっかぁ。ちょっと安心したかも」という意見が大半だったものの、一部「チッ、ノーマルか」って反応が。
舌打ち!?
ノーマル以外に何を期待してたの!?
なんとなく想像はつくけど怖いからそれ以上は聞かないでおこう。
そしてなんで男子たちは少し残念そうにしてるのかな?
わたし男だよ、わかってるよね?
お願いだから気を確かに持ってね?
てゆーか遠巻きにしてる割にはしっかりと聞き耳は立ててたのかい。
それにしても身をもって転校生への関心の高さを痛感させられてしまったので、わたしはあか姉やひよりの事が心配になってしまった。
わたしには姉が3人、妹が1人いる。
同じ中学へ通う3年生のあか姉と1年生のひよりが同じく登校初日。
あと今年高校に入学した楓乃子、通称かの姉とデザイン系の専門学校に入学した依子、通称より姉がいる。
かの姉とあか姉は新しいお父さんの連れ子なので他の姉妹との血のつながりはない。
そして4人とも弟であるわたしの目から見ても超美人。
昔から美人5姉妹なんて呼ばれて近所でもちょっとした有名人だった。
わたしを姉妹のくくりに入れるな。わたしが長男であと4姉妹だよ。
そんな美人姉妹なので変なのにからまれてやしないかと二人の様子が心配で様子を見に行きたい。
けどクラスメートの質問攻めが終わってくれない。
あか姉はもちろん転校生。ひよりも新入生とはいえ以前日本に住んでいた時の小学校からは違う校区になってしまっており知り合いがいない。
心配だったからスマホで無事かどうか確認した。
ところがどうやら向こうは騒ぎになどなっておらず割と普通の対応だったらしい。
おやぁ?
本物の女子だと違うってこと?なんだこの対応の差は。
わたしは珍獣か?
お互いの無事を確認した後、帰りは3人一緒に下校しようと正門前で待ち合わせ。
待ち合わせにはわたしが一番乗りになってしまった。
おかげで二人を待っている間にもいろんな生徒が入れ代わり立ち代わり話しかけてきてここでも集団形成。
他のクラスどころか上級生や下級生もいるんだけど。全校集会か。
そこにひよりとあか姉が連れ立ってやってきたんだけど、2人ともわたしを囲むギャラリーを見て苦笑い。
「すいません、ゆきちゃんの妹です!兄のところへ行きたいので通して下さ~い!」
人ごみをかき分けるようにしてなんとかわたしのそばに近寄ることができた2人。
「さすがゆきちゃん。どこに行っても人気者だね」
ひよりが冷やかすようにわたしの顔を覗き込んでくる。
他人事だと思って。
そう思ってひよりに批難の目を向けると、いたずらっぽい笑顔で「だっていつもゆきちゃんは人に囲まれてるんだもんねぇ」とあか姉に話を振る。
「うん。ゆきは人気者。自慢の妹だ」っておーい、わたしは弟ですよー。
ナチュラルにわたしの性別を変更するのはやめて。
わたし達3人のそんなやりとりを見てまわりのテンションがさらに上がる。
「美人3姉妹がそろった~!」「みんなかわいい~!眼福」家族が揃えば帰らせてくれるかと思いきやさらに騒ぎだす。
おまえらも3姉妹ときたか。毎回主張するのも疲れるしもういいや。
割と長時間大勢でたむろしていたため生徒指導の先生が注意しに来てくれてようやく解散。
ようやく家路につくことができる。
疲れた……。
金曜日の放課後。 明日はお休みということもあり、たくさんの生徒が残っておしゃべりしたり休みの日の予定を約束したりしている。 喧騒の中、わたしの名前を呼ばれたような気がしてそちらを向くと男子生徒が数人集まってスマホを覗き込んでいる。 スマホから聞こえてくるのはこの世で一番聞きなれた声。わたしの声だ。昨日の告知の配信を見ているらしい。ちょっと照れるんですけど。「な!この子めっちゃ可愛いだろ?」「絵師は日向キリか。俺も推しの絵師だけど、これはいつもよりクオリティが高いな」 さすがキリママの力作!やっぱりみんなかわいいと思うよね!自分のことのように嬉しい。まぁ自分の分身なんだけど。「それにこの子の声よ!チョーかわいくね?」「キャラによく合ってるな」 わたしがまだ中学生ということもあってキリママの書いた絵も幼い印象だったので、意識して少し高めの声で話してよかった。普段そんなに高い声で話してるわけでもないしこれで身バレすることはないだろう。「歌とダンスが好きなところといい、名前といい、……広沢っぽくね?」 えぇぇ!そんなあっさり……?名探偵すぎない?いやいや、ここは他人の空似ということでしらを切りとおすべし。ワタシカンケイナイ。心を無にしてやりすごそう。 幸い話をしていたのが男子だけだったので、直接聞かれることはなかった。 女子なら遠慮なく聞いてくるけど、男子はいまだにわたしに対して遠慮がち。 女子はもうみんな『ゆき』か『ゆきちゃん』って呼んでくれるのに男子は全員『広沢』って呼んでくるし。広沢は各学年にいるんだけどな。 ともあれ余計な火の粉が飛んでくる前にさっさと退散。(ゆきとひよりはもう待ってる頃かな) そんなことを考えながら急いで教科書をカバンに詰め込む。今日は日直だったので時間が遅くなってしまった。 帰り支度をしているとクラスメートが話しかけてきた。わたしは普段から無口なので友達とおしゃべりに興じることはほぼないんだけど、別に友達がいないとかじゃなく日常会話を交わす相手くらいはいる。「茜ちゃんの弟って確か自分のことを雪の精霊だって言い張ってるって言ってたよね?」 他の話題なら帰り支度を優先するけどゆきのことならいつでも大歓迎だ。他ならぬゆきのことなんだからあの2人ももう少し位は待ってくれるだろう。 弟の魅力はいくら語っても語り
ゆきちゃんがスタジオに入ったのをしっかりと確認してからより姉がわたしに確認してくる。 「それでこっちの手筈は整ってるのか?」 もちろん抜かりはないとばかりに笑顔でサムズアップ。 ゆきちゃんのことに関してはわたしに任せてもらえれば万事大丈夫。マネージャーかってくらい予定を細部まで把握してる。 スマホを取り出し、動画アプリを立ち上げる。そこに表示されている配信者のチャンネル名『雪の精霊/YUKI』「そのまんまじゃねーか!隠す気ほんとにあんのか?」 わたしもまさかとは思っていたがものは試しと検索してみたら一発で見つかったので思わず笑ってしまった。普段から自分を雪の精霊だって言ってるのにそのまんまって。 これでわたし達には秘密にしておきたいって言うんだからどこまで本気なのか疑っちゃうよね。「完璧人間なのに変なところで抜けてやがる」 まぁそういうのもゆきちゃんのかわいいところなんだけどね。「天然さんなのかしらね」 かの姉もくすくす笑いながらスマホを操作してる。「記念すべきゆきの初配信はスマホじゃなくて大画面で見たい」「ナイスアイデア、さすがあか姉!テレビにつなげるね」 アプリを使ってスマホをテレビ画面にリンクさせたところで配信開始3分前。 今頃ゆきちゃんはどんな気持ちでいるんだろうな。 不安半分ワクワク半分ってところかな? わたしもまたこうやって画面の向こうにいるゆきちゃんを見ることのできる日が再び訪れたことをとても嬉しく思っている。 子役の頃から画面の向こうでキラキラと輝いているゆきちゃんを見るのが好きだったから、突然引退したときは寂しくてわたしの方が泣いちゃったくらい。 アメリカではヒットしなかったしすぐに活動休止しちゃったからテレビで見る機会もほとんどなかった。 媒体は変わったけどこうして画面越しにキラキラするゆきちゃんをまた見ることができる。ゆきちゃん本人よりわたしの方が嬉しさで興奮してるかもしれない。「始まるよ」 カウントダウンが終わって画面が切り替わり、さっきゆきちゃんに見せてもらったアバターが画面に大きく映し出された。おー動いてる!『見に来てくれたみなさん、はじめまして~!わたし、今日からVtuberとしてデビューしました雪の精霊、YUKIです!初配信なのに160人も来てくれたんだね!ありがと』 絵師さんの最高
帰宅してすぐに夕食を作り、少ししたら久々に日本の柔道場へと向かう。アメリカでも道場には通っていた。 小さな道場だったから人数も少なくわたしに勝てる人はいなかったので、日本ではどこまで通用するようになっているか楽しみ。 道場に到着してまずは師範に帰国の挨拶。「お久しぶりです、師範。今日からまたこちらでよろしくお願いします」「ゆきちゃん、おかえり。アメリカでも道場に通って敵知らずだったそうだね。みんな君がどこまで強くなっているか楽しみにしているよ」 受講費を支払いに来たお母さんから聞いたのだろう。周囲を見ると先輩たちが笑顔ながらも挑戦的な目でわたしの方を見ていた。「この4年間で腕を上げたつもりではありますけど、今日は皆さんの胸を借りるつもりで自分の力を試したいと思います」 暴力が嫌いとはいえ、試合は別。こう見えてもわたしはけっこう負けず嫌いだ。ここまで挑戦的な視線を向けられたらいやがおうにも燃えてくる。やるからには絶対に勝ちたい。 まずは準備運動をしっかり行って体を温めておく。今日は約束稽古の後に乱取り。約束稽古は技の反復練習なので基本動作の出来や技の習熟度などを図ることができる。 乱取りはだいたいレベルが同程度の人同士で稽古を行うのだけど、今日はわたしがひさびさに帰ってきたから今の力量を図るという意図もある。 約束稽古の出来から見て初段相手で問題ないだろうということで高校2年生の兄弟子と組み合うことになった。 向かい合い一礼をして構える。組み合った瞬間に兄弟子の体のバランスが偏っていることに気が付いたので、そこを狙い崩して投げた。あっさりと一本。驚いた。 兄弟子も簡単に負けたことに驚いたようで再戦。結果5戦やったけど全戦瞬殺。 結果を見ていた2段の兄弟子とも同じく5戦試合をしたけど、その人ですら1分と持たずわたしに投げられてしまった。 道場がざわつく。そりゃそうだ。まだ昇段資格の年齢にすら達していない少年が有段者をいともたやすく投げ飛ばしているのだから。 自分でも己の運動神経の異常さは理解しているけど、武道の有段者相手にも通用するとは驚きだ。 最終的にちょうど非番で顔を出していたうちの道場の最高段位3段保持者の現役警察官、松田さんが手合わせをしたいと名乗り出たことで捨て稽古みたいになってしまった。捨て稽古は勝敗にこだわらず自分より実
1年生は1階、2年生は2階、3年生は3階と別れているので階段のところでそれぞれ分かれてブーイングを背中に浴びながら自分の教室へと向かう。 1日の始まりはあいさつから。教室の扉を開けて元気よく声を出す。「おはようございま~す!」「……あ、おはよ……」 ……あれぇ? ちゃんとみんなおはようってあいさつを返してくれたけど、なんだか元気がないというか声が小さい。 昨日はみんな歓迎してくれたと思ってたんだけど、今日は昨日の雰囲気とはうって変わってなんだか様子を伺われているような感じ?わたし何もしてないよね? 隣の席ということもあって昨日仲良くなった文香ちゃんが恐る恐るとでもいうか少し気を使ったような感じで私に近づき、尋ねてきた。「あのね、ゆきちゃん。もし間違ってたらごめんなさいなんだけどさ……ゆきちゃんて小さいころ芸能界にいたりした?」 げ!まさかそのことに気づく人がいるなんて!昨日はバレなかったから油断してた。一瞬誤魔化そうかとも思ったけど、いずれバレることだろうし嘘をつくのもイヤなので観念した。「あちゃー気づかれたかぁ。成長して顔も変わってるからバレることはないと思ってたのに……」「やっぱり!朝の子供向け番組に出てたピーノちゃんだよね!」 昨日に引き続き教室内は大騒ぎ。どうやらクラス委員長の杏奈ちゃんがなんか似てない?って気づいてみんなに確認し、よく見れば確かに面影があるということでクラス全員の意見が一致したところにわたしが登校してきたのであんな空気になっていたらしい。「そういえば性別不詳って設定だったけど、本当は男の子だったんだね!髪も今と同じで伸ばしてたし、あんまりにもかわいかったからてっきり女の子だと思ってたよ」 昔から初対面でわたしを男の子だと思った人はひとりもいない。 かわいい女の子ですね、いえ男の子なんです、あんまりかわいいから女の子だと思いましたまでが初対面の人に対する挨拶のテンプレートになっていた。「そりゃこんな小さいころからこれだけきれいな顔してたらそうだろうねぇ。スカウトだってそりゃされるよね。すごいなぁ。あれってわたしらが幼稚園くらいの時だよね」 当時の写真をスマホで見ながら穂香が聞いてきたが、子役としての活動期間は幼稚園から小学校1年生にかけての実質2年足らずでしかない。みんなよく覚えてたな。しかもそれがわたし
わたしの朝は早い。 まだみんなが眠っている時間に目を覚まして朝ごはんの支度。 それに両親と姉たちのお弁当も一緒に作る。中学はまだ給食があるからいいけど、より姉とかの姉、それに両親は放っておくとコンビニ弁当やパンなんかで済まそうとする。それだと栄養が偏ってしまうのでわたしがお弁当を作ってしっかりと栄養管理をしてあげないといけないのだ。 家族の健康を守るのもわたしの務めだ。 まず最初に両親が起きてくる。少しでも安くて広い土地を手に入れるため、少し郊外に家を建ててしまったので通勤に時間がかかるようになってしまった両親は姉たちに比べるとどうしても早くから支度しないと間に合わない。 先に用意してあった2人分の朝食をすませるとお母さんが毎朝欠かさないわたしとのハグをして、ゆっくりする間もなく出かけていってしまった。 両親を見送ったあとは姉たちを起こす時間。 うちの姉妹たちは誰も自分から起きてきてくれない。 目覚ましをかければ起きられるだろうにひとりとして目覚ましをセットして眠る人がいない。 彼女たちいわく、けたたましい音で不快に起こされるよりわたしに起こしてもらえる方が至福の目覚めを味わえるのだとか。なんだそりゃ。 以前試しにこっそり小鳥のさえずりの目覚ましをより姉の部屋にセットしてあげたら翌日の朝には破壊されていた。 爽やかな目覚めを迎えられるだろうと思ったのにちゅんちゅんというかわいらしい小鳥の鳴き声でさえ不快だったらしい。 なんてこった。自立できるのか、この人たち。 さぁ、まずは長女から起きてもらおうとより姉の部屋へ。「おはよう、より姉。朝だよ~。起きて」 至福の目覚めとまで言われればかける声も優しくなる。愛情をこめて極力柔らかい声を意識して耳元でささやくように起こしてあげる。「むー」「朝だよ。起きてってば~」 至福の声で起こしてあげてるんだからすんなり起きてほしいもんだ。肩をゆさゆさしていると、より姉の目がうっすらと開いた。 やっと起きたか。と思ったらおもむろにより姉の手が伸びてきた。 何?と思う間もなく首の後ろにまで回った腕に捕獲され、布団の中に引きずり込もうとしてくる。力強いな!起きてるだろこれ!「あとちょっとー。ゆきも一緒に寝よー」「はーなーせー!バカなこと言ってないで早く起きなさいー!」 体をちゃんと起こしてあげ
わたしは姉弟の中で髪が一番長いからどうしても長湯になってしまうので最後に入るから、わたしがお風呂から上がるころにはいつも遅めの時間になってしまう。 今日は昼間の疲れもあってかいつもより長湯になってしまった。お風呂から上がってくると姉たちはすでに部屋へと戻り、その代わりに両親が帰ってきていた。「おかえり~。遅くまでお疲れ様。すぐにご飯温めるね」「そんなのお母さんがやるわよ。早く髪乾かさないと風邪ひいちゃうわよ」「平気だよ。遅くまで仕事して疲れてるんだから2人とも座っていて」 お父さんからすまないなと声をかけてもらえるけど、今までいろんなことを子供優先で考えてくれている二人がしてくれてきたことに比べればこれくらいはやって当たり前と言えるくらい。 遅くまでお疲れさまとありがとうの気持ちを込めてビールを飲むか尋ねる。「ありがとう、いただくよ」 おかずを温めている間に冷蔵庫から缶ビールと冷やしておいたグラスを2つ取り出して持っていくと、お母さんが受け取りお父さんにお酌をしてあげていた。 何年たっても仲いいよな、この夫婦。わたしもこの両親が大好き。若くして他界してしまった前のお父さんのことだってもちろん。 今のお父さんは前のお父さんと友人同士だったらしい。かの姉たちのお母さんは2人が小学校へ上がる前に病気で亡くなったらしく、その後は男手一つで二人を育てていたそうだ。 そんな自分の境遇もあってか子供3人を残してこの世を去ってしまった友人家族の事を放っておくことができず、わたしが芸能界を引退した時期お母さんに仕事を紹介したりあれこれ世話を焼いてるうちお互い惹かれあうようになり再婚を決めたのだとか。ま、お母さん美人だしね。 同じ商社に勤めていてそれなりのポジションについており、帰りが遅いことも多い。 お父さんだけじゃなく、お母さんだってずっとわたし達を大切にしてくれているのは言うまでもない。 以前お母さんにわたしが芸能界を辞めたせいで遅くまで働くことになってしまってごめんなさいと言ったら「子供が生意気言ってんじゃないの!お金を稼ぐのは大人の仕事なんだから気にしないで任せておきなさい」と割と本気で怒られてしまった。 芸能界にいたころは金銭だけが目当ての悪い大人が近づいてこないようにしてくれたり、変な仕事が来ないようマネージャーみたいなことまでしてくれて