Masuk三歳の誕生日だったあの雪の日、わたしには新しい家族が出来た。お父さんとお母さん。四歳お姉さんの|依子《よりこ》と一歳下の妹、|陽愛《ひより》。
最初は緊張したけど、やがて家族にも受け入れられてとても幸せな時間を過ごしていた。
だけど数年で家族を悲劇が襲った。わたしが五歳の時、お父さんが事故でこの世を去ってしまう。とても優しいお父さんで、わたしも大好きだった。
悲しみに暮れていたわたし達だったけど、お母さんは子供たちを育て上げるという重責を抱え、女手一つで仕事を掛け持ちして孤軍奮闘。そんな時、久々のお母さんの休みに家族で見学に行った子供向け番組のスタジオ収録で、わたしはスカウトされた。
「あなたなら十年に一人の逸材になれます!」
鼻息荒く必死に説得してくるスカウトのお姉さん。
「ゆきは百年に一人だ!」
「ゆきちゃんすごーい!」
より姉とひよりも興奮している。ただ一人、お母さんだけは困惑気味。
「ゆきはどうしたい? お母さんは無理強いしないよ。ゆきがやりたいなら応援するし、嫌ならお断りするわよ」
お母さんはきっとわたしの事を考えてくれている。だけど、わたしだってお母さんのお手伝いがしたい。
テレビヘ出るようになればお金がもらえる。わたしもお母さんの役に立ちたい! これもわたしの「使命」のひとつだとするならば。わたしは二つ返事で引き受けた。そしてそれがわたしの人生を決定づけることになる。
「え!? 男の子!?」契約書にお母さんが必要事項を記入していると、スカウト兼わたしのマネージャーとなるお姉さんが驚きの声を上げる。
野太い声が出ていたから、心底驚いたんだろう。「やっぱりまずいですか? どう見ても……ですもんねぇ」
いやお母さん。そこは濁さなくてもいいよ。
みんなが可愛い可愛いと育ててくれたおかげで、髪は伸ばし続けて背中まであるし、そっちの方がいい! という勧めで自分のことも「わたし」と呼んでいる。 どこからどう見ても女の子だよね。「いえ! これは逆にチャンスかもしれません! 経歴も、キャラクターの設定も性別不詳ということにしておきましょう! ミステリアスで受けますよ!」
子供向け番組にミステリアスは必要なのかな?
「ゆきちゃんという名前も男女どちらでもおかしくないですしね。芸名は一ノ瀬雪。キャラクター名は『ピーノちゃん』で!」
だっさ。
もうちょいならなかったのかな、ピーノちゃん。大人の言うことだから口出しはしないけど。
「それでゆきちゃん、何か得意な事ってある?」
マネージャーの質問にわたしは自信満々で応える。
「歌とダンス! 自分で作った歌と振り付けもあるよ!」
きっとその時のマネージャーさんは子供が作った稚拙なものを想像していただろう。
だけどその曲とダンスが、いくらかの手直しをしたとはいえ誰もが口ずさむ国民的な大ヒットを飛ばすことになる。ピーノちゃん=ふわふわダンス。
ネーミング……。
それでもわたしの歌を聴いた人はみんな笑顔になり、一緒に踊ってくれる。
これだ!
わたしの果たすべき使命。「人々を幸せにする」ために、わたしが出来ることはこれしかない。歌とダンスを通して世界に笑顔を届けよう! そして神童、天才子役ともてはやされるにつれ、わたしの周囲にはわたしではなくわたしの生み出すお金だけに用がある、汚い大人が寄ってくるようになった。それはまだ幼いわたしにはとてもいい環境とは言えなかった。
幼いころから人の顔色を読むことが得意だったわたしには、表面上笑顔でも、その人の本音が透けて見えてしまう。『子供のくせに』『ちょっと売れたからと言って調子に乗って』『お金を生まなければ誰がお前なんかに頭を下げるか』
そんな裏の声がどうしても感じ取られてしまい、徐々に笑顔の減っていったわたしは結局活動期間一年にも満たず、芸能界を引退してしまった。
世間からは惜しまれたけど。わたしがお仕事を辞めてしまったおかげで、またお母さんに負担をかけてしまうことになると思っていたけど、お母さんはわたしの稼いだお金に手を付けていなかった。
「ちょうどいい縁があってね。とても割のいいお仕事を紹介してもらったから大丈夫なのよ」
ごめんなさいとしょげるわたしの頭を撫でながら、問題はないと言ってくれるお母さん。仕事をしながらわたしのサポートをしてくれていたお母さんには感謝をしてもしきれないや。
だけど、そのお仕事を紹介してもらった縁もあって、わたし達に家族が増えた。
新しいお父さんと、二歳年上の|楓乃子《かのこ》姉さんと一歳上の|茜《あかね》姉さん。かの姉とあか姉。お父さんとお母さんは同じ会社の同じ部署で働いている。
そして、会社で新しく立ち上がったプロジェクトに夫婦で抜粋されたこともあり、わたしたちはアメリカへと移住することになった。期間は四年。最初は言語の壁に苦しんだけど、わたしがいち早く英語をマスターし、家でも極力英語を使うことによって家族も慣れていき、四年が経つ頃にはみんなペラペラ。
「これで就職にも有利になるな」
より姉は現金な事を言っているけど、まぁあながち間違ってはいないか。
そしてプロジェクトは無事大成功に終わり、いざ日本へと帰ってきたんだけど。 今日は新しい学校への転校初日。ひよりの中学進学に合わせて帰ってきたので、世間も今日から新学期だ。いつもならみんな一緒に家を出るんだけど、日本に帰って最初の登校日ということでテンションの上がったわたしはみんなの準備を待つことが出来ず、先に家を出てきてしまった。
一人機嫌よく通学路を歩いていたんだけど……。
視線を感じる。しかもたくさん。ゴチン!
漫画でしか聞かないような擬音を聞いたと思ったら、若いサラリーマン風の男の人が電柱にキスをしていた。
うわぁ、痛そう。
でもなんか面白い。恥ずかしそうにこちらを伺うその人と目が合ってしまい、つい微笑んでしまった。
首を絞められたような表情になり、顔を真っ赤にしてしまう男性。そりゃ恥ずかしいよね。
「はぁ。日本に帰ってきても反応は同じか」
子役の頃からなので慣れてしまったとはいえ、この歳になると複雑なものがある。
腰まで伸びた艶やかな黒髪に、音がしそうなほど長いまつ毛。日本人とは思えない長い手足にくびれたウェスト。
ブラコンな姉妹たちいわく「神の細工とも言うべき黄金比で作られた人類の至宝」だそう。なんだそれ。
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常日頃から「お前は美人過ぎるんだから男には気を付けろ」と言われてるんだけど、男が男に何を気を付けると言うんだろう。
可愛いと言われるのは正直嬉しいし、女の子と間違われても別に悪い気はしないんだけど、こちらも年頃の男の子。
時には「男前」とか「かっこいい」なんてことも言われてみたいという希望もそこはかとなくあったりする。無理なのは知ってるけど!「うわぁキレイ」「モデルさん?」「同じ日本人なのかなぁ」
そんな声を背中に受けつつ、紺色のブレザーとアンバー色のスラックスに身を包んだ|男|子《・》|生《・》|徒《・》は学校へと急ぐのだった。
ほどなくして学校に到着。転校初日ということでまずは職員室へ。「失礼します。本日転校してきました、広沢悠樹です。よろしくお願いします」
少し緊張しながらも扉を開け、自分の名前を名乗ったところ、職員室内にどよめきが走る。あーそうなるよねぇ。
転校生は男子生徒と聞いているはずなのに、現れたのはどう見ても女の子。
「え、悠樹さん? 茜さんでも陽愛さんでもないのよね?」
若い女性教師が声をかけてくれた。
「あはは。正真正銘の悠樹です。こんな見た目なのでビックリするかもしれませんが、ちゃんと男の子です」
「はぁ。世界は広いわ……」
まさかのワールドクラス? 感嘆してくれるのはいいけど、せめて国内に収められなかったのかな。
転校の手続きはお母さんが全部済ませてくれていたので、その後はまだ時間があるということで応接室にて待機。するとあか姉が登校してきた。
「……」
無言で睨んでくるし。
「ごめんて。早く学校に行きたくて待ちきれなかったんだよ」
「それは分かるけど。ひどい」
あか姉が立ち上がり、そばに寄ってこようとしたところで先生が入ってきた。危ない。隙あらばすぐにスキンシップしようとして来るんだもんなぁ。この姉妹。
最初に応対してくれた女性教諭がわたしの担任で、福山瑞穂というらしい。なるほど、みずほちゃんか。
あか姉の担任は男性教師だけど、物腰の柔らかそうな人でよかったね。あか姉とは職員室前で別れ、わたしとみずほちゃんはクラスへ。
アメリカに移住したときにも経験したけれど、転校初日にクラスへ顔を出す瞬間というのはどうしても緊張してしまう。人間第一印象が大事だしね。 ここは一発かましておくか。「それじゃ、名前を呼んだら入ってきてね」
そう言い残して教室に入っていったみずほちゃんの口から転入生が来たことが告げられる。
「おれ職員室のところで見た! めっちゃ可愛い子!」「マジか! これは学校生活に華があっていいな!」「ちょっと男子、どういう意味?」
口々に転入生への期待を述べる生徒たち。わたし男なんだけど。なんか申し訳なくなってきたぞ。
「みんな残念。転入生は男の子よ。でも見たらきっとビックリするわよ」
ちゃんとみずほちゃんが真実を告げてくれた。ビックリするというのは、やっぱこれだろうなぁ。
自分の髪をいじりながら、これから先の展開に一抹の不安を覚えてしまう。「なんだ男か」「んじゃ興味ねーや」「男子、サイアク」「でもビックリするってどういうことだろ」
男か女でこんなにも対応が違うのか。これってある意味男女差別じゃない?
騒がしい教室内をみずほちゃんの声が制した後、名前を呼ばれたので静かに扉を開け、ゆっくりと扉を閉めてから教壇に登って前を向いた。
「え?」「は?」「男……へ?」「俺が見た子……?」
まず第一印象はメダパニといったところか。落ち着け男子。
「うわ、綺麗」「足なっが!」「顔ちっちゃい」「男子に負けた……」
女子はというと、いろんなパーツに目が行くようでまるで品評会をされているような気分。
「はいはい、みんな気持ちは分かるけど騒がないの。それじゃ自己紹介をよろしくね」
さすが日本の学校。先生の一言であれだけ騒がしかったのが静かになってしまう。アメリカではこうはいかないもんなぁ。
「初めまして。本日転入してきました広沢悠樹です。こんな見た目をしていますがれっきとした男の子です。先日までアメリカにいたので、日本の事を忘れている面もあるかもしませんが、いろいろ教えてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」
そう言って深く頭を下げる。
「キレイなお辞儀ね。何か習い事でもしてるのかしら」
感嘆した様子でみずほちゃんが聞いてくる。
「ダンスが好きで。日本舞踊も習ったのでそのおかげかもしれません」
「なるほど。みんなもいろいろ聞きたいことがあるでしょうけど、それは休み時間の時にでもね。それじゃ、ホームルームを始めます」
その後はつつがなくホームルームと授業が進行していったんだけど、その間も痛いほどの視線を感じていた。
そして予想していた通り、休み時間には人だかりが出来て質問の嵐。 日本の学生って転校生にこんなにも興味があったっけ?同じく今日が転校初日にあか姉とひよりも心配になったので連絡してみたのだけど、あちらはいたって平穏な様子。
やっぱりこの正体不明な見た目が原因か。要するに珍獣。不本意だけど、拒絶ではなく歓迎はされているようなので良しとしよう。
それにしても話しかけてくるのは女子ばかりで、男子は遠巻きに見るばかり。動物園のサルみたいだ。
別にいいんだけど、女子のやたらと多いボディタッチにはまいった。こちとら年頃の男子なんでい!
おさわり禁止!なんて言えるわけもなく、結局放課後にひよりたちと合流するまでおもちゃにされてしまうのだった。
疲れた。
日々続くリハビリは、思った以上に大変だった。 まずは寝返りや座ることから。最初の内はそれすらも大変で、どうにか寝返りを打てると言った状態だった。 それから座ることも難なく出来るようになったかと思ったら、息つく暇もなく自力で車いすに乗ることを特訓。 これが想像以上に困難なことで、立ち上がろうとしても膝が笑って上手くできない。看護師さんの介添えがあってようやくといったところ。「えへへ。密着出来て幸せぇ」 一部、邪な考えで介助してくれている人もいるけれど。 一度より姉に見つかって、ナースステーションで担当替えを真剣にお願いされていた。できればわたしも替えて欲しい。 でも決して手は出させませんという言質を得て、どうにか引き下がっていたようだ。そこで納得しちゃうのね。 わたしの不安な気持ちと、あの舐めるように見てくる気持ち悪い視線からは解放してくれないのだろうか。 病院も人手不足なのはわかるけど、あんなのを特別病棟に配置して評判に関わったりはしないんだろうかと心配になる。「今まではもうちょっとマシだったんですけどね」 他の看護師がそう言ってフォローしてたけど、正直何の慰めにもなってませんよ? むしろエスカレートしてるってことで余計不安になったわ。 だけど車いすに乗って久しぶりに外へ出たのは気持ちがよかった。すっかり忘れかけていた風の匂い。 そこには微かに草木の匂いが混じり、まもなく訪れる生命が謳歌する夏の気配を感じさせる。でも今日は少し湿っぽい匂いも混じっているから、雨でも降るのかな。 以前と違って色が見えるようになったわたしは、外の景色をいくら眺めていても飽きることがない。 目を凝らせば色というのはあちこちに散らばっていて、普通に暮らしていれば気づかないようなところにも鮮やかな色が潜んでいる。 例えばビルのひび割れから生えた生命力に溢れた雑草の緑。暗いアスファルトの隙間から顔を覗かせるたんぽぽの鮮やかな黄色。 普通の人なら気づくことなく通り過ぎてしまうその景色も、今まで違う世界を見ていたわたしには物珍しい。 部屋にいてもスマホやテレビを見ている時間より、窓の外を眺めている時間の方が長いくらいだ。「なぁに、また外を見てるの?」 今日はひよりの番なのか。「うん、今日も外の景色がキレイだからね」「やっと見えるようになっ
部屋には空調が効いていて快適な温度なのに、悪寒が走ったのはどうしてだろう。 無菌状態だから風邪というのも考えにくいし。 拳を握ったり開いたりして、徐々に自分の感覚を取り戻していく。正直楽なものではない。 今は電動リクライニングのベッドを少し起こしているけれど、重力というのはこんなにも重かったのか。 内臓にかかる重力を感じてしまう。お腹の中身が重たい気分。便秘がひどくなったらこんな感じかな。 まだ体を起こすことはできないけれど、少しずつ力を入れて自分の体の操作権を掌握していく。アイハブコントロール。 それにしても静かだ。 わたしが眠っていた間、姉妹たちはこの静かな空間で何を思っていたんだろう。 きっと何も反応のないわたしに話しかけ続けていたんだろうなということは容易に想像できるけど、それを思うと胸が痛い。 ずっと辛い思いをさせ続け、それでも決して匙を投げることなくわたしの世話を続けてくれていた家族。 わたしはその恩にどうすれば報いることが出来るだろうか。きっとより姉たちなら「そんなもん必要ねーよ。ただ元気に生きてくれているだけでいい」なんてことを言うんだろうけど、それではわたしの気が済まない。 たとえ形に残るものではなくても、なんらかの形でこの想いを伝えることはできるだろうか。 まずはリハビリに励み、一日でも早く我が家に変えることが先決だろう。 でもその先は? もう一度唄えるんだろうか。ダンスを踊ることはできるのか。 特にダンスに関しては、自分の記憶力と運動神経に頼っている面が大きかった。もし、それらの能力が失われてしまったとしたら。 再び嫌な悪寒が背中を走る。 わたしにとって歌とダンスは切っても切れない不可分なものだった。声と体で自分の世界観を表現する。その片翼がもがれてしまったとしたら。「ダメだな。こんな弱気になってたらみんなに怒られちゃう」 今は考えても仕方がない。体が動かないから、余計に気弱になってしまうんだ。 少しでも早く体を動かせるよう、自主的にリハビリも頑張ろう!「……あいたぁ!」 動かそうとした足に激痛が走り、慌ててナースコールのボタンを押す。「広沢さんどうしました?」 ……。 看護師さんに叱られた。「慌てたところで何もいいことはありませんよ! 今回は単に足がつっただけ
「それで、今の気分は? 記憶の混濁などはありませんか? 色が見えるようになったというのは本当ですか?」 ちょっとちょっと。 珍しい症例なのは分かるけど、先生が興奮してどうすんの。落ち着け。 そんなにいっぺんに聞かれてもどれから答えればいいのかわかんないよ。「気分は別段悪くありませんが、体が思うように動かないですね」「それはね。一年以上も眠っていたんですから、筋力は相当衰えているでしょう。それでも筋肉が硬化せず、動かすことが出来るのはお姉さん方のおかげですよ」 より姉たちの?「毎日、一日も欠かさずに時間のマッサージをしてくれていたのはお姉さん方ですよ。みなさんが交代で毎日訪れている様にはわたし達も胸を打たれました」 一年以上休まずに? いくら四人いるからと言っても仕事や学校もあるし、それはかなり大変だったんじゃ。 そう思ってみんなの方を見たら、赤い顔をしてそっぽを向かれてしまった。 照れなくてもいいのに。「より姉、かの姉、あか姉、ひより、ありがとう。みんなのおかげでどこも痛いところはないし、重いけど動かすことが出来るよ」 感謝の想いを込めて、重い頭を持ち上げてなんとかお辞儀のようなことをしてみる。 だけど思ったように頭が上がらない。無駄な動きで布団が少しめくれただけ。「お礼をしたいのにちゃんと動かないや。これはこれからのリハビリが大変そうだね」「無理しなくていいんだよ。今はまだ目覚めたばっかりなんだし、ゆっくりしとけ」 顔を赤らめたままのより姉が優しく布団をかけなおしてくれた。「全ての筋肉が衰えていますから、無理はしないでください。首だけでなく喉の筋肉も弱っていますので、普通なら話すことも困難なはずなんですが、そこはさすが歌手と言ったところなんでしょうかね。しわがれることもなく、綺麗な声が出ていますよ」 それはさっきから思っていたことだ。少し喉の筋肉に違和感があって、しゃがれてはいないものの大きな声が出せない。「少しずつ全身を動かすところから始まって、飲み込む力も衰えているので嚥下のトレーニングもしていかないといけません」 嚥下のトレーニングって初めて聞いたな。 どんなことをするんだろう。「まずは粘性の付いた液体を呑み込むところからですね。その次に液体、流動食。普通の食事をとるまでには1か月といったところでしょうか」「い
あれから一年以上が過ぎた。ゆきは眠ったまま二十歳を迎えてしまう。「ほら、マッサージ終わったぞ」 姉妹全員で欠かさずやっている日課を終えて、ブラシを手に取る。「ずいぶん伸びたなぁ」 まっすぐに伸びた絹糸のような黒髪にブラシを通す。これもまたみんながやっていることだ。 マッサージは医師から言われて始めたことだが、髪を梳くのは誰が言うともなく自然と始まったこと。 元々腰まであった長い髪だけど、今では尻を超えるんじゃないかという位置にまで来ている。立ってみることが出来ないから正確な長さは分からないけど。「いくら毎日梳いているとはいえ、相変わらずキレイな髪だよな。羨ましいぞ」 対するあたしの髪にはいつもの艶がない。 今日は会社も休みで、昨日はあたし名義で借りたワンルームマンションに泊まったから。普段使いするわけじゃないから置いてあるものは最低限なため、シャンプーとコンディショナーもコンビニに置いてある安物だ。 ワンルームマンションの家賃は長女であるあたしが全額払うからいいと言ったのに、楓乃子は半分持つと言うし、茜とひよりまでアルバイト代からいくらか出すと申し出てきやがった。どんな形であれゆきのために何かをしたい、その気持ちは分かるから好きなようにさせた。「ほんと、お前の愛され方はすげーよな。まぁあたしも負ける気なんてないけどな」 笑いながら語り掛ける。そこに返事はないけれど、今ここに生きていてくれることにとても安心感を覚える。 一向に目を覚ます気配のない眠り姫。 その表情はとても穏やかで、微笑んでいるようにも見える。「何笑ってやがる」 もっと悲しむものだと思っていた。会うたびに涙が止まらないんじゃないかと。医者の見立てでは、目を覚ます確率は五分五分。一か八かの賭けのようなものだ。 だけど不思議なことに、静かな病室で雪に話しかけている間、心にあるのは安心感。 その安らかな寝顔を見ているだけで、愛しさが溢れ、ついつい唇を重ねてしまう。「ん。少し乾燥してるのかな」 バッグからリッ
目が開いた。ような気がした。「あれ、わたし眠ってしまったはずじゃ」 声が出た。と思う。 どこかで感じたことのある感覚。かつての記憶が蘇る。「精霊さん?」 呼びかけてみた。 目の前に光が現れ、それが弾けるように瞬いたと思ったら、懐かしい姿が目の前にいた。「やぁ、元気だった?」「元気と言っていいのかな? ここにいる時点でかなり危うい状態だと思うんだけど」 前に会った時は心肺停止状態だったしね。「なんだか可愛げがなくなったような気がするのは気のせいかな」「もう、何年たったと思ってるの? ずいぶん久しぶりなんだから成長だってしてるよ。いつまでも幼児じゃないってば」 実に十六年以上ぶりに会ったというのに、旧友と再会したような気分になるのはわたしの中にいつもいたからだろうか。「わたしにとってはそれくらいの年月なんて一瞬だよ。成長したと言ってもまだまだ子供!」 ちっちゃな胸を張ってドヤ顔の精霊さん。バストもわたしより控えめだ。「どこ見てんの?」「別に」 さすがに男がそんなとこでマウントを取るのもおかしいから目を逸らす。「で、今回は何をしに来たの? お迎えだったら追い返すけど」 握り拳を作って精霊さんを威嚇する。わたしもずいぶん図太くなったもんだ。「なんで物理的に追い返そうとしてるかな。ていうかお迎えって何のこと?」 意味が分からないと言った様子で小首をかしげる精霊さん。なんだかあざといな。「だって雪の精霊さんがわたしに乗り移って命をつないでくれてたんでしょ? 期限が来たから神様が帰ってこいって言ってるのかと」「は?」「え?」 お互いに疑問符を頭につけて首を傾げてしまった。沈黙。「前から言おうと思ってたんだけどさ。なにその|雪《・》|の《・》精霊って。炎とか雪とかそんな属性なんてないんだけど」 十六年ぶりに会ったと思ったら盛大な勘違いの訂正。「え!?
配信開始数分前。 わたしはモニターの前に立ち、呼吸を整える。 ゆきちゃんへの愛情が感じられる期待に満ちたコメントが並び、その温かさに涙が溢れそうになる。 だけど泣いてる場合じゃない。 ゆきちゃんが大切にしてきた世界。そこに告げるにはあまりにも残酷すぎる言葉だから。 配信画面が切り替わり、わたしの姿が映し出された。【あれ、ひよりちゃん?】【ゆきちゃんは?】【何かの企画?】 コメント欄には疑問の声が並ぶ。 笑顔でいたいけど、これから話す内容を考えたらとても笑ってなんかいられない。 画面の外で見守るお姉ちゃん達の方を向くと、口パクで「がんばれ」と言ってくれた。 うん、わたし頑張るね。「今日はリスナーさん達に大事なお知らせがあります」 正直この先を言うのはわたしも辛い。 震えそうになる声を抑え、毅然とした表情を作って続きを離す。【なんだろ】【ゆきちゃんは?】【今日は歌わないの?】【ひよりちゃんの表情が気になる】 先週まで元気な姿を見せていたからか、リスナーさん達には見当もつかないようだ。 ゆきちゃんを呼ぶ声が心に重くのしかかる。「ゆきちゃんは今日、出られません。ゆきちゃんは……眠りにつきました」 振り絞るようにしてそこまでは言えたけど、その先は続かなかった。 リスナーさんもわたしと同じように言葉に詰まったのか、あれだけ激しく流れていたコメントが完全に停止してしまう。 無言のまま、どれくらいの時間が過ぎただろう。 やがてぽつりぽつりとコメントが流れ始めた。【嘘、だよね?】【ゆきちゃんが……】【そんな……】【イヤだ!】 ゆきちゃんが言っていた五段階必要ってのはこのことか。 最初は否認、そして怒り。 わたし達も同じ道をたどってきたからよく分かるよ。認めたくないよね。 あんなに明るく快活で、元気いっぱいだったゆきちゃんが。
「門外不出のゆきの写真だぞ! 1枚100円な!」 本当に売りつけやがった。なんて姉だ。「わたし買います」「買う」「わたしもー!」 こらこら、口車に乗らないの。かの姉はその1万円札をしまいなさい。「そんなの買わなくていいよ。データはこのDVDに焼いてもらったから」「あ! てめーゆき! 商売の邪魔すんな!」 身内相手に商売すんな。「社会人が学生からお金を巻き上げるのは黙って見てられません。そんなにピーマン食べたいの?」「ごめんなさい、そろそろ許してください」 たった1日で音を上げるなんて、どれだけ嫌いなんだか。「くっそー。せっかく小銭稼ぎができると思ったのに」 かの姉が
今日からいよいよ新学年。「ゆきちゃん、最後までよろしくね」「よろしくー」 結局、文香と穂香は中学から数えて5年間、ずっと同じクラス。 生徒会役員をずっと同じクラスに固めてよかったのかな。先生方は何を考えているんだろう。「驚いてるね」「そりゃそうでしょ。なんせクラスを分けたら生徒会解散の危機になるって脅したしね」 なんということを……。 金剛力士様恐るべし。「最後までゆき会長を支えていかないとだからね」「祀
「はい、こっち向いて笑って~」 指示されるとおりにポーズを取ると、そのたびにフラッシュがたかれていく。 最初は渋々引き受けたモデルだったけど、撮影が進むうちにだんだん変わってきた。 なにこれめっちゃ楽しい!「その表情いいわね! もう少しだけ右を向いてくれるかしら」 レイさんの言葉に嬉々として従ってしまう。カメラマンってすごいな。 被写体の魅力を引き出す能力に長けているんだろう。声をかけられ、従っているうちにどんどん気分が高揚してくる。 もともとカメラの前に立つのは慣れているし、決して嫌
文化祭が終わればすぐに12月。 すぐに行われるのが、生徒会選挙。次年度の会長副会長を決めるための全校集会。 だけど今年度も生徒会長には他の候補者がおらず、信任投票すら省かれた満場一致の拍手で選任されてしまった。いや、いいんだけどね。 来年からはちゃんと投票して選んでね? でもこれで3年連続、高校生活の全てを生徒会長として過ごせることになった。生徒たちのためにやりたいことだらけのわたしにはありがたい。 講堂で受けた拍手の音を落胆の声に変えてしまわないよう、来年も登校が楽しみになる学園目指して頑張ろう。